<雑学シリーズ第6弾>祇園祭の起源はインド?
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誰もが知る祇園祭。京都が生まれなのか?
答えは、正確にはわからない。となるが、インド起源という説が濃厚のようだ。
っとその前に、そもそも祇園祭とはどういう祭りなのでしょうか。
今では天神祭や、神田祭と並んで日本三大祭りの一つとして数えられているこの祭り、山車を出し合って街をねり歩く光景はまさに圧倒だが、何のためにやっているのでしょうか。恥ずかしながら、私もその意味については最近までほとんど全然知りませんでした・・・。
明治まで祇園祭は祇園怨霊会と言われていた。この祇園怨霊会が始まった当時、疫病が流行していた。当然、現代の様な医学は無く、何らかの形で亡くなった人々が恨みを現世に残したまま怨霊となっているためこの疫病がもたらされているとされていた。
そして、当時の人々はこの怨霊会を行うことでそれらを鎮めようと努めたのである。かなりざっくりとではあるが、これが祇園祭の起源である。
山車を出して練り歩く文化はどこから来たのか。
山車の文化、日本で始まった訳ではない。これらは現在の中国から伝わってきた文化らしい。では、中国の文化なのかというとそうではない。
中国にはかの有名な三蔵法師が伝えたと言われている。では、この三蔵法師はどこでこの山車文化を見つけたのだろうか。
仏教の起源、インド。オリッサ州に始まる文化
仏教の起源は言うまでもなくインドである。ブッダの故郷はネパールであるが、ブッタが悟りを開いたのは現在のビハール州にあるブッダガヤであり、仏教の歴史はインドから始まったと言っても過言ではない。
そしてそのビハール州の南東に位置するオリッサ州が今回の舞台である。
オリッサ州のプリーという町で6-7月にかけて年に一度ラト・ヤートラーというお祭りが開催される。
お祭りの様子↓
どこかで見たことのある光景・・・そう、まさにこれこそが山車の起源と言えるのではないだろうか。日本語の山車とは少し異なっておりジャガンナートという神様とその兄弟(下写真左からジャンガナート、バララーマ、スバドラー)を載せている。ちなみにだが、ジャンガナートは元々この地の土着の神様であったが、現在はクリシュナの化身として扱われ、この地はヒンドゥー教四大聖地の一つに数えられている。
山車と言うよりは日本で言うお神輿に近いのかもしれないが、沢山のロープに人が群がって引っ張っている光景を見るとやはり山車なのではないかと思ってしまう。
このお祭りは、グンディチャー寺院に向かって約2.7kmの道のりをねり歩く。
そもそもこのラト・ヤートラーというお祭り、日本語訳にすると「山車の行進」という名前になる。
まさに、この山車という文化がこのインドのオリッサ州からきていることを表わしている気がしてならない。このお祭りを見た三蔵法師が中国に伝え、それが日本に伝わってきたとされている。
祇園祭のちょっとした豆知識
と、色々書いてきましたが、必ずしもこの説が正しいとは言えない。
しかし、実は祇園祭の中にも明らかに異文化が混じっている様子が見て取れる部分がある。山鉾も祇園祭では有名だと思うが、この山鉾、良く見てもらうとラクダやピラミッドの様な模様が見えるのである。
京都に昔ラクダが居たとは思い難い。とするならば、この祇園祭の原点は日本では無く遠く離れた異国の地なのかもしれない。
まとめ
日本とつながるインド。調べていけばいくほど、日本とインドの共通点が浮かび上がってくる。日本人の起源は中国大陸であると言われているが、その中国人の一部はインドの影響を強く受けていることは間違いない。
距離にしてかなり離れてはいるが、それでもどこか通じ合えるところがあるのかなと思うと少しワクワクしてくるのである。
インド人と話す機会がある方はぜひこの話をしてみてはいかがでしょうか。
それでは(^^)/
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