<文化シリーズ第4弾>牛肉を食べるインド人。でも、牛専用救急車もある。
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牛は神聖な動物。牛専用の救急車もある。
読者の方々も既にご存知の方も多いと思うが、インド人、特にヒンドゥー教徒にとって牛は特別な存在として地位を確立している。
タイトルに矛盾しているが、当然インド人は牛を食べない。正確には大半のインド人は・・・である。
何故インド人がそこまで牛を大事にするのかには色々理由がありそうなので簡単にまとめてみました。
インド人が牛を食べない理由
①神様の乗り物、従者
ヒンドゥー教の中で最高神の一つとして崇められており、破壊と再生を司るとして有名なシヴァ神の乗り物として牛が登場する。当然、シヴァ神が描写される時には同時に牛が描かれている場合が多く、ヒンドゥー教徒の信仰の対象になっている。
また、インド人からとても人気の高いクリシュナ神の従者でもあるため、これまた信仰の対象になっている。
牛自体というよりは、神様の乗り物或いは従者であるから合わせて信仰の対象になっており、当然その牛を殺して食べようという発想にはならない。
②そもそも神様が宿っている
インドのある神学者によれば牛には3000もの神様が宿っているらしい。
ヒンドゥー教は神道と同じく多神教であるためこの説も否定し難いが、①とは異なり牛自体にも様々な神様が宿っているため当然これを食用にするという概念は生まれないということになる。
③牛を食用にしない方が効率が良い
よく考えたらその通りだなと思うわけだが、
ⅰ)穀物の浪費を避ける
豚肉1kgを作るのに4kg前後の穀物を消費すると言われているが、牛肉はその倍以上の10kgの穀物を必要とする。
飢餓の原因の一つとして畜産が挙げられるのはこのためであるが、牛肉を生産するなら人が消費した方が効率が良い。都市部では高層ビルの横にスラム街が並び、畑では収穫作業に勤しむ貧しい労働者が大勢いるインドであるが、その莫大な人口を抱えていながら現在も餓死というのはほとんど聞いたことが無い。
牛肉を消費せず、穀物を食用に回すことで飢餓を生み出さず、この13億人を超える人口を支えているのである。別記事に書いたが、インドは米を輸出用にもまわしている。
ⅱ)大切な食料、燃料源
牛を食用としないことで穀物の浪費を避けていると言ってもインドに牛はたくさんいる。しかし、彼らは荷物を積んだ台車を引いていたり、乳牛だったりすることが多い。牛乳は意外とインド人の食生活からは切り離せない。アイスのような形式で出てきたりもするし、牛乳自体を飲んだりもする。
また、当然牛であるから糞をするわけだが、その糞をどら焼きのように形作って天日干しし、乾燥させた後、燃料替わりに使用している。都会ではそんな光景当然見られないが、田舎に行くと天日干しされている”うんちケーキ”が山になっている。木や家の壁にウンチをべっとり貼り付けて乾燥させたりしている光景は中々面白い。
インドを訪問した際、その”うんちケーキ”を使用して水たばこに火を付けていた。
お前も吸ってみろと言われて吸ってみたが、心なしかタバコから牛糞の臭いがしたような気がするのは今でも記憶にはっきりと残っている。
ということで、大切な食料を生み出し、燃料までも提供しくれる。インド人の生活に牛は欠かせないのである。
ⅲ)残渣処理班
牛達は何を食べているの?
日本では多様な穀物を混ぜて飼料としているが、インドの牛は何を食べるかと言うと何でも食べる。野菜の残渣(収穫されずに畑に放置されている野菜や、その葉など)や残飯、放牧して草を食べさせたりもしている。つまり、自然に生まれてきて、人間が使用しないものを彼らは消費している。食用とする訳ではないため、穀物を食べさせて脂を蓄える必要はないのである。
例えば、カリフラワーを生産したとする。食用部分はもちろん花蕾(白い部分)だが、一株作れば大量の葉が畑に残ることになる(下写真参照)。
これらを畑に鋤き込んでも良いのだが、牛に食べさせた方が手間にならない。日本では空地の雑草管理が問題になるが、そんな雑草も牛の食事になる。牛がいれば人の手間が省けるのである。
①、②、③と列挙してきたわけだが、この③牛を食用にしない方が効率が良いという理由が根本にあるのではないかと私は推察する。もちろん神話などが出来た際に、ここまで考えが及んでいたかは定かではないが、時代の変化と共に、牛を食べないことを選んできたのかもしれない。
それでも牛を食べるインド人もいる
先日グジャラート州では牛を殺したら最大で終身刑という法律が作成された。
そんなあほなという感じであるが、本当である。牛専用の救急車というのも出来たらしい。もはや呆れるがそれぐらいインド人にとって牛と言うのは大事な動物なのである。
しかし、インドにもヒンドゥー教徒以外にイスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒が数多く存在している。イスラム教徒だけで2億人前後いるとされており、その影響力は計り知れない訳だが、彼らはもちろん牛肉のタブーは無い。キリスト教徒も然りである。
実際に、キリスト教徒の多い南部のケララ州やイスラム教徒の多いウエストベンガル州などでは牛肉が消費されている。グジャラート州でできた法律に対して、反発を見せたのもウエストベンガル州である。
牛が最も安価?牛肉は硬い
ケララ州にはと殺場があるらしく、隣接するタミル・ナドゥ州から牛が列を成してそのと殺場に向かっている光景を目にすることもある。しかし良くみるとその牛は痩せこけていて、かなり年老いている。歩みもやたらと遅い、それが原因で渋滞が出来るほどである。
つまり、乳牛としても役牛としても生産性に乏しい老牛が食用にまわされている場合が多い。私も食べたことは無いが、非常に硬く、どの肉よりも安価で販売されているらしい。
安価で販売されているということは当然貧しい人々も消費できる。逆に言えば、小金持ち達はキリスト教徒であっても牛肉を食べないようになる。ヒンドゥー教徒以外の人口も計り知れないインドにおいていまいち牛肉が拡がらないのはこうした背景もあるのかもしれない。
まとめ
牛を絶対に殺さないインド人がいる一方で、食用にするインド人もいる。
一概にインド人は牛を食べないと捉えがちだが、実際のところ牛に対する考え方も人によって全然違うのである。神聖と言いながら、放牧中の牛を棒でバシバシ叩く遊牧民もいるし、繋いでいるロープを思いっきり引っ張って牛に言うことを聞かせようとしている農家もいる。上述したように、救急車まで用意して牛専用の病院のような場所も存在するのである。
インド人って牛は神聖だから食べないんですよね?と聞かれても一概にイエスとは言えない。間違いでは無いのだが。まさにインドの多様性を示す良い例かもしれない。
不思議の国インド、それではまた次回。
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